2006年06月04日

歌よ 五月雨/5止 その声は届いた



 五月雨 (X'mas Acoustic Live)

◇五月雨<作詞・持田香織作曲・多胡邦夫>

 なかなか切り出せない質問を、私はベッドに戻った菰渕雅博(22)にぶつけてみた。生きる意味、そして死への恐れ。薄暗くなり始めた窓の外は、いまだ五月雨がしとしと降り続いていた。

 筋ジストロフィーは、全身の筋肉が萎縮(いしゅく)し、腕を上げたり、寝返りすることもできなくなる。体はやせ細り、若くして死亡することが多い。幼少期に発症し、入院も長くなるのが一般的だ。

 菰渕は入院した小学生のころ、「なんで自分だけがこんな病気になったのか」と、すべてを悲観的に考えた。だが努力して大学に進学した病院の先輩を見て変わった。

 「死ぬのは怖いけど、今はあまり恐怖を感じない。筋力が落ちても生きるし、生きるからには自分しかできないことを見つけたい。存在を証明する何かを残すことが生きる意味です」。よどみない答えが返ってきた。

 彼と話をして、私はその世界に引き込まれる不思議な感覚にとらわれた。前向きな姿勢に勇気をもらったようにも思えた。もしかしたら、Every Little Thing(ELT)の持田香織も同じ感覚を抱いたのではないか。

 五月雨の詞には、そんな思いがにじみ出ている。私はELTに取材を申し込んだ。だが返ってきたのは断りの知らせ。アーティストとして作品がすべてという理由だった。しかし持田は、慰問の時に感じたことを菰渕あての手紙にしたためていた。菰渕によると、こんな内容だった。

 <エネルギーをあげるつもりだったけど、逆にみんなからもらった。そのエネルギーを歌という形で伝えていきたい>

 慰問の翌年の04年3月に発表された五月雨。患者から受けとった力を、持田は詞に込め、情感豊かに歌い上げた。

 ♪この声よ この歌よ 貴方(あなた)の生きゆく日々の力になるように……

 この歌は、ひたむきに生きる菰渕らの姿を通じて、生きる意味を多くの人にかみしめてほしいと願うメッセージなのかもしれない。=敬称略、この項おわり<文・砂間裕之>

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歌よ 五月雨/4 明日を諦めない

◇五月雨<作詞・持田香織/作曲・多胡邦夫>
 Every Little Thing(ELT)が、現在の国立病院機構徳島病院(吉野川市)の筋ジストロフィー患者らを慰問したのは、1本のビデオを見たからだった。ビデオには「こもちゃん」こと菰渕(こもぶち)雅博(22)や、亡くなった西森敬治ら4人でつくる「move」というバンドの演奏が映っていた。だが、この演奏がバンドにとって最後のライブとなる。その裏には、筋肉が衰える難病の現実があった。

 02年10月。病院の文化祭で、ステージに4台の車いすが並んだ。菰渕は机の上に置いたドラムパッドを指で押し、その横にはボーカルの藤坂成一郎(26)、両脇にはコンピューター音源を操作する横内靖彦(27)と、ボーカルの西森がいる。菰渕を除く3人は、呼吸器をくわえながらのステージとなった。

 グループは01年4月に結成した。ギターやベース、ドラム音などは、コンピューターやドラムパッドを使い、キーボードは藤坂が担当。オリジナル曲にも挑んだ。だが全身の筋肉の衰えはとどまらない。このステージで藤坂はキーボード演奏ができず、ボーカルに専念。西森も7時間に及ぶ気胸の手術後だったため、歌うことを止められた。

 しかし4人の顔は輝いている。ELTの2曲とオリジナル2曲の計4曲を披露し、曲の間にはトークも挟んだ。最後の曲に入る前、西森は呼吸器で息を継ぎながら、「友と一緒に何かを完成させる喜びは大きい」と、秘めた思いを語った。

 文化祭からしばらくして、メンバーはバンドを解散した。演奏することに意義があるのに、それができない現実を直視した末の決断だった。

 だが、それは決して妥協ではない。菰渕は言う。「病気だから何もできないということはない。自分のしたいことをすれば生きる励みになるし、それがぼくらにとって音楽でした。でも病気の状態を考えると、別のことを見つけるしかない。それが現実ですから」

 この言葉に凝縮される命の重み。私にはそれが、ELTに五月雨を作らせる原動力になったと思えた。=敬称略、つづく<文・砂間裕之>
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歌よ 五月雨/3 いのちをありがとう

 ◇五月雨<作詞・持田香織/作曲・多胡邦夫>

 主治医は、髪を振り乱し眼鏡を放り投げ心臓マッサージをする。看護師が交代を申し出ても耳を貸さず、一心不乱に胸を押し続けた。「敬治戻ってこい」。早朝の病院に、医師の祈りが響いた。

 Every Little Thing(ELT)の大ファンで、筋ジストロフィーのため入院している西森敬治が、眠るように亡くなったのは03年10月22日だった。ELTの慰問からちょうど4カ月。その思い出を胸に22歳で天国へ旅立った。

 彼のパソコンには、生きたあかしが残されていた。「大切な人たちへ」と題された文書。病気と分かった小さいころから、どんなことでも自分で決断させていた母和子(48)でさえ、「ここまで考えていたの」と驚くほど周到な準備だった。

 「みなさんがこれを読まれているということは、すでにぼくはこの世界にはいないということです……。そんなに悲しまないで下さい。肉体は滅んでも、精神・魂は滅びることはありません……。みなさんのお陰で幸せな人生でした」

 和子は、息子が生前作った詩の中からお気に入りの一編と、この一文を告別式で声を詰まらせながら読み上げた。現実と向き合い、知らぬ間に旅立ちの準備を進めた最愛の息子。「母へ」という文書には、素直な心がつづってあった。

 「喜びも悲しみも二人三脚で歩いてきたよね。いろいろあって、ひどいことも言ったりしたけど母ちゃんがいてくれたら安心できました。産んでくれてありがとう」

 筋肉の衰えが進み、気胸の大手術なども重なった最後の1年。残された時間を感じ取り、パソコンに少しずつ打ち込んだのだろう。

 「一番つらい時期だったから、ELTの慰問は生き抜く励みになったと思います」。和子はELTの慰問が、命の灯が消える前だったことに感謝する。だが、その時、病室でサインをしてもらったアルバムや、多くの音楽CDはいまだに整理できない。「息子を思い出すとつらいから」。気丈な和子の顔が、悲しみで一瞬ゆがんだ。=敬称略、つづく<文・砂間裕之>
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歌よ 五月雨/2 声にならない感謝

 ◇五月雨<作詞・持田香織/作曲・多胡邦夫>

 確立した治療法がない筋ジストロフィーと向き合う菰渕(こもぶち)雅博(22)は、Every Little Thing(ELT)が慰問に訪れた03年6月22日のことを忘れない。自分たちのバンド演奏がきっかけになった思いがけないプレゼント。わずか1時間ほどの滞在だったが、ある光景が頭から離れないという。

 02年10月に現在の国立病院機構徳島病院(吉野川市)で開かれた文化祭で、菰渕らの「move」というバンドが、「Over and Over」など、ELTの2曲を初めて演奏した。そのビデオが地元衆院議員の秘書を通じて、ELTの手に渡り、慰問が実現したという。ELTは、前日の松山市内でのコンサートの帰りに寄ったが、直前まで時間が取れるか分からなかった。

 1時間ほど前に連絡を受けた菰渕は、二つの病棟約80人の患者に触れ回る。「うっそー」。みんなの顔が一瞬にしてほころんだ。しばらくして、ELTの持田香織(28)と伊藤一朗(38)の2人が、梅雨のはっきりしない天気のなか来訪。電動の車いすに乗った菰渕が病棟を案内した。

 二つ目の部屋。小さな男の子がのどを切開し、呼吸器を入れている姿に持田の表情が変わった。三つ目の部屋には、菰渕のバンド仲間、西森敬治がいる。ELTの大ファンで、アルバムはほとんど持っている。文化祭で、ELTの曲を提案したのも西森だった。

 「彼の部屋で、ELTの2人はかなりショックを受けたみたいですね」。菰渕はそう証言する。西森は体調を崩し、前の部屋の男の子と同じように気管切開してのどから呼吸器を入れていた。「来てくれてありがとう」。声を出せないが、懸命に伝えようとした。その時、持田の目から涙があふれるのを、菰渕と西森の母和子(48)=徳島県吉野川市=が見ていた。

 私の頭の中に、五月雨のメロディーが流れる。

 ♪貴方(あなた)から受けとった言葉 声にならない声の ありがとう、を

 五月雨がこの青年たちとの出会いをきっかけに作られた歌であることを私は確信した。だが、この後、悲しい事実を知ることになる。=敬称略、つづく<文・砂間裕之/写真・小松雄介>

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歌よ 五月雨/1 「天使」を見つけた

 ◇五月雨<作詞・持田香織/作曲・多胡邦夫>

 病院を訪ねたのは、今月中旬の雨の日だった。徳島駅から各駅停車に揺られて約30分。吉野川中流域のひなびた駅を降りた時、私はEvery Little Thing(ELT)の「五月雨」を聴いていた。

 大阪を発(た)ってから、何度繰り返し聴いたことだろう。切ない調べに、感じたままの詞(ことば)をのせ、凝縮された物語が流れていく。この曲は、国立病院機構徳島病院(吉野川市)の難病患者との出会いをきっかけに作ったとされる。それを確かめるため、ここまでやってきた。

 ♪この声は届いてますか この歌は今日も聴こえていますか

 一体誰に呼びかけているのか。持田香織の澄んだ歌声が、5月の雨の風景に溶け込んでいった。

 五月雨は、持田と伊藤一朗の2人組人気ユニット・ELTの「commonplace」というアルバムに収録されている。私が曲の誕生秘話を知ったのは、ネット上の書き込みだった。

 「筋肉が衰える病気の『こもちゃん』という子がコンサートに行けない、と手紙を出したところ、ELTが病院に見舞いに行き、五月雨をつくった」。そんな内容だったと記憶する。確かめると、アルバムには協力者として、「こもちゃん」という人物とこの病院の以前の名称が記されていた。しかも、病院は筋肉の機能を失う難病・筋ジストロフィーの患者が各地から集まる四国の中心的な施設でもある。

 「こもちゃん」。そう呼ばれている青年は、この病院にいた。電動車いすを操って、私の前に現れた菰渕(こもぶち)雅博(22)だった。高松市出身で、小学6年生の夏休みに入院。病院生活は11年になるという。菰渕に秘話のことを尋ねると「ELTから直接聞いていませんが、きっと慰問してくれた時の気持ちを歌にしたのでしょう」と答えた。そして、ELTの2人が病院を訪れた3年前の出来事を目を輝かせて語り始めた。

 外は五月雨。降りやまぬ雨が木々の命をつなぐ恵みとなるように、この歌も「こもちゃん」たちに生きる勇気を与えているのだろうか。=敬称略、つづく<文・砂間裕之/写真・小松雄介>

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