2006年06月04日

歌よ 五月雨/2 声にならない感謝

 ◇五月雨<作詞・持田香織/作曲・多胡邦夫>

 確立した治療法がない筋ジストロフィーと向き合う菰渕(こもぶち)雅博(22)は、Every Little Thing(ELT)が慰問に訪れた03年6月22日のことを忘れない。自分たちのバンド演奏がきっかけになった思いがけないプレゼント。わずか1時間ほどの滞在だったが、ある光景が頭から離れないという。

 02年10月に現在の国立病院機構徳島病院(吉野川市)で開かれた文化祭で、菰渕らの「move」というバンドが、「Over and Over」など、ELTの2曲を初めて演奏した。そのビデオが地元衆院議員の秘書を通じて、ELTの手に渡り、慰問が実現したという。ELTは、前日の松山市内でのコンサートの帰りに寄ったが、直前まで時間が取れるか分からなかった。

 1時間ほど前に連絡を受けた菰渕は、二つの病棟約80人の患者に触れ回る。「うっそー」。みんなの顔が一瞬にしてほころんだ。しばらくして、ELTの持田香織(28)と伊藤一朗(38)の2人が、梅雨のはっきりしない天気のなか来訪。電動の車いすに乗った菰渕が病棟を案内した。

 二つ目の部屋。小さな男の子がのどを切開し、呼吸器を入れている姿に持田の表情が変わった。三つ目の部屋には、菰渕のバンド仲間、西森敬治がいる。ELTの大ファンで、アルバムはほとんど持っている。文化祭で、ELTの曲を提案したのも西森だった。

 「彼の部屋で、ELTの2人はかなりショックを受けたみたいですね」。菰渕はそう証言する。西森は体調を崩し、前の部屋の男の子と同じように気管切開してのどから呼吸器を入れていた。「来てくれてありがとう」。声を出せないが、懸命に伝えようとした。その時、持田の目から涙があふれるのを、菰渕と西森の母和子(48)=徳島県吉野川市=が見ていた。

 私の頭の中に、五月雨のメロディーが流れる。

 ♪貴方(あなた)から受けとった言葉 声にならない声の ありがとう、を

 五月雨がこの青年たちとの出会いをきっかけに作られた歌であることを私は確信した。だが、この後、悲しい事実を知ることになる。=敬称略、つづく<文・砂間裕之/写真・小松雄介>

posted by TaRo at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ELT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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