2006年06月04日

歌よ 五月雨/4 明日を諦めない

◇五月雨<作詞・持田香織/作曲・多胡邦夫>
 Every Little Thing(ELT)が、現在の国立病院機構徳島病院(吉野川市)の筋ジストロフィー患者らを慰問したのは、1本のビデオを見たからだった。ビデオには「こもちゃん」こと菰渕(こもぶち)雅博(22)や、亡くなった西森敬治ら4人でつくる「move」というバンドの演奏が映っていた。だが、この演奏がバンドにとって最後のライブとなる。その裏には、筋肉が衰える難病の現実があった。

 02年10月。病院の文化祭で、ステージに4台の車いすが並んだ。菰渕は机の上に置いたドラムパッドを指で押し、その横にはボーカルの藤坂成一郎(26)、両脇にはコンピューター音源を操作する横内靖彦(27)と、ボーカルの西森がいる。菰渕を除く3人は、呼吸器をくわえながらのステージとなった。

 グループは01年4月に結成した。ギターやベース、ドラム音などは、コンピューターやドラムパッドを使い、キーボードは藤坂が担当。オリジナル曲にも挑んだ。だが全身の筋肉の衰えはとどまらない。このステージで藤坂はキーボード演奏ができず、ボーカルに専念。西森も7時間に及ぶ気胸の手術後だったため、歌うことを止められた。

 しかし4人の顔は輝いている。ELTの2曲とオリジナル2曲の計4曲を披露し、曲の間にはトークも挟んだ。最後の曲に入る前、西森は呼吸器で息を継ぎながら、「友と一緒に何かを完成させる喜びは大きい」と、秘めた思いを語った。

 文化祭からしばらくして、メンバーはバンドを解散した。演奏することに意義があるのに、それができない現実を直視した末の決断だった。

 だが、それは決して妥協ではない。菰渕は言う。「病気だから何もできないということはない。自分のしたいことをすれば生きる励みになるし、それがぼくらにとって音楽でした。でも病気の状態を考えると、別のことを見つけるしかない。それが現実ですから」

 この言葉に凝縮される命の重み。私にはそれが、ELTに五月雨を作らせる原動力になったと思えた。=敬称略、つづく<文・砂間裕之>
posted by TaRo at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ELT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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